インプライド・ボラティリティ

またまた議論してきたブラック・ショールズ式を挙げておこう。

\[ C_0=S_0\Phi(d_1)-e^{-rt}K\Phi(d_2) \quad ,\quad \Phi(d)\sim N(0,1) \] \[ d_1=\frac{ \log\frac{S_0}{K}+rt+\frac{1}{2}\sigma^2 t}{\sigma \sqrt{t}}\quad ,\quad d_2=d_1-\sigma \sqrt{t} \]

標本統計も最尤法も過去のデータから将来のパラメータを推定するという至極もっともな考え方である。 ではどのくらいの期間で推定すべきかということになる。

CAPMでも悩まれたことがあるかもしれない。遺憾ながらこの質問に的確に応えるほどの立場にないのだが、 実務では90日から180日ぐらいで推定されたりするという話を聞く。

この推計期間を決める際の一番の危惧はボラティリティ$\sigma$が定常性を保ってくれるかどうかということ。 過去の$\sigma$が今でも使えるのかということである。

モデルとの整合性にいかに神経を使っても、測定の中や後でなんらかの要因が変化して定常性が保たれずに、 $\sigma$が変質を起こしていれば、もはや測定値の信頼性は高くない。したがって測定の期間に$\sigma$に影響を与えるような イベントがどのくらい生じているかということも測定評価の重要な一部となる。

金融環境は刻々と変化しているというのが常識的な認識だろう。どれだけ頑張っても定常性に対する疑念はぬぐえない。 では疑わしい過去にとらわれることなく測定する手立てはないのだろうか、というリクエストに対するひとつの解答が インプライド・ボラティリティである。

ブラックショールズ式は変数$S,K,r,\sigma,t$からなっている。このうち$S,K,r,t$は市場から読み取れるものであるから、 既知の変数をすべて与件のパラメータとみれば、ブラックショールズ式は一変数関数$C_0=C(\sigma)$となるのであった。

そのたったひとつの変数$\sigma$に対する$C_0$の挙動を考えてみよう。 \begin{eqnarray*} \sigma\rightarrow 0&: &\quad C_0\rightarrow S-e^{-rt}K \\ \sigma\rightarrow\infty&: &\quad C_0\rightarrow S \end{eqnarray*}

であることは見て取れる。続いて常套手段として $\partial C_0/\partial \sigma$を計算すると、 これはすでにリスクコントロールの章でやったグリークスのベガ(Vega)であるから、 \[ \frac{\partial C}{\partial \sigma}=\frac{1}{\sqrt{2\pi}}S\sqrt{t}e^{-\frac{d_1^2}{2}} \] をえることができる。

$\sigma\in(0,\infty)$においてベガはあきらかに正の値をとる。実務的には$S,K,r,t$はすべてゼロでないとしてもよいだろうから、 関数$C(\sigma)$は$\sigma$が0の近くから$\infty$に向かうとき、$S-e^{-rt}K$から$S$に向かって狭義単調増加する連続な関数 であることがわかる。

残念ながら$\sigma=C^{-1}(C_0)$という逆関数を陽に書き表すことはできないが、$\sigma\in(0,\infty)$において 連続かつ狭義単調増加であるから、逆関数定理によってやはり連続かつ1階微分可能な逆関数$C^{-1}$が確かに存在して 一価関数であることが保証される。

自分自身でもよいが、もし双子の資産が見つかって、 \[ \sigma=C^{-1}(C_0) \] と逆を取れば、明らかなオプションの現在価格によって、$\sigma$が計算できる。

したがって、陽な式はないけれどなんらかの数値計算法を利用すれば、市場の$C_0$の値と既知のパラメータ$S,K,r,t$を代入することで $\sigma$の近似な値を得ることができる。このようにして得たものをインプライド・ボラティリティという。

数値計算法のあれこれはどこかで紹介したいと思うが、なかなか興味深いことも多くてここから脱線して長くなるのも困るので、 とりあえずもっともプリミティブなニュートン・ラプソン法を簡単に紹介しておこう。

ニュートンラプソン法は、連続かつ1階微分可能な任意の関数$f(x)$について、$f(x)=0$となる$x$の近似解を求めるものである。 そのアルゴリズムはまず適当な$x_0$を与える。$f(x_0)=0$なら直ちに終了となる。$f(x_0)\ne 0$ならこの$x_0$によってやはり $f'(x_0)\ne 0$を確認しておいて、 \[ x_1=x_0-\frac{f(x_0)}{f'(x_0)} \] を計算する。もしこの$x_1$が目標とする近似精度$\epsilon$を上回って、 \[ |x_1-x_0|\lt\epsilon \] となるなら、$x_1$を解とする。近似精度が満たされないなら、$x_1$を$x_0$に置き換えて再び計算を繰返す、という計算法である。

下に凸な$f$が$x$軸に交わることを頭に思い描かれれば、$1/f’=dx/df$だから、おおよそ意味は理解できるだろう。

ニュートンラプソン法

具体的には、市場で観測されるオプションの価格を$C_m$とすれば、 \[ f(\sigma)=C(\sigma)-C^m \] として適応すればよい。定数が加わっただけなので$f'=\partial C/\partial \sigma$はベガである。

数値計算はすべからくそうだろうけれど$x_0=\sigma_0$の初期値をいかに与えるかということになるが、 そこに特段の条件はない。何万個ものボラティリティをいっきに求めようとでもしない限り、 最近の計算機ならば負荷はそんなに大きくないからどんな値から初めても神経質になることはないだろう。

適当なヒストリカルボラティリティを当てはめることがまず想定できるが、蓑谷のテキストでは、初期値として、 \[ \sigma_0=\left( \frac{2}{t}\left(\log\frac{S}{K}+rt \right) \right)^{\frac{1}{2}} \] を利用することが述べられている。

テキストではその背景をつまびらかにはしていないようだが、この式は第二項の標準正規分布の引数$d-\sigma\sqrt{t}$をゼロとする。

したがって、 \begin{eqnarray*} f(\sigma_0)&=&S\Phi(\sigma_0\sqrt{t})-\frac{1}{2}e^{-rt}K-C^m \\ f'(\sigma_0)&=&\frac{1}{\sqrt{2\pi}}s\sqrt{t}e^{-\frac{\sigma_0^2}{2}t} \end{eqnarray*} として計算を開始することになる。まず真ん中辺の分かりやすいところから始めるという感じだろうか。

1回限りで面倒なプログラムを組み立てずになるべく簡便に済ませたいなら、エクセルのソルバーを利用して、 数値を手入力して目視で近似するという大胆な手立てもあるだろう。

インプライド・ボラティリティは、市場が無裁定であるとして、この$\sigma$の値をブラック・ショールズ式から得て活用 しようという手法であって、確率分布の定常性が疑わしく、金融環境が同一であるとは思えない過去の履歴からではなく、 まさに今現在の市場からパラメータを推定するというリアリティがあり、しかも計算量は少ないというメリットを持つのである。

インプライドボラティリティを使うことでもっともよく知られている事柄は、横軸に(行使)価格を、 縦軸に(インプライド)ボラティリティをとってグラフを描くと、下に凸なカーブを描くことである。 これをボラティリティ・スマイルあるいはボラティリティ・スキューといわれる。

ボラティリティスマイルは、価格$S=K$でアットザマネー(ATM)となっているときに底となり、 $S\lt K$つまり$C=0$でアオトオブマネー(OTM)や$S\gt K$つまり$C\gt 0$でインザマネー(ITM)のとき 価格$S$が行使価格$K$から乖離するほど釣り上がるといわれている。

またスマイルの表象は残存期間が大きいほど顕著に現れるといわれる。

ブラックショールズ式は所定の期間のボラティリティは不変であることを前提としている。 しかしオプションだけでなく資産のボラティリティは日々刻々と変化していると見るのがいっそう自然であろう。 したがってボラティリティがカーブを描き、時間とともにその形状を変えていくことはなんら不思議な現象ではない。

過去のデータを利用することは、データを収集する過去の時点から予測しようとする将来まで、 パラメータが一定期間は不変と見る定常性の前提である。

標本統計の推定の精度を上げるひとつの方法はサンプルを増やすことだが、確率変数が定常性を持つ保証がなく、 サンプルを増やすことが観測期間を延長することならば、計算量は間違いなく増大するにもかかわらず、 必ずしも推定の精度の向上につながるかどうかは分からない。

その意味からも標本を収集する期間の決定とその間のイベントの調査分析は推定値の信頼性を高める重要な基礎情報となるのである。






















































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