選択公理

実数の全体空間にたいして、σ代数をべき集合でとると、完全加法な測度を構成し切れない問題が発生して、 その原因は選択公理にあることを述べた。

この項では少しだけ選択公理について触れておこう。とはいえ私は数学基礎論の専門家ではないし、 中でもその公理系について語ることは難しい。

したがってここで話すことは誤っているとは思わないが、あまり厳密とは思えないし、大なり小なり曲解が含まれるだろうから、 入門者と五十歩百歩の違いしかないの者の整理と思っていただければよいだろう。

なんらかの集合という抽象的な対象の分析を始めるならば、手始めに目的とする集合とすでに中身の分かっている集合との関係を比較検討して、 その位置付けや規模などを調べようとすることは誰もが考えるアプローチであろう。

そして集合と集合の関係を調べるためには、もとの集合の要素あるいは元がどんな具合になっているかを判別しておこうというのも自然だろう。

そこでこの調べのために要素の間の関係に同値と順序を導入する。任意の集合$A$における同値関係$\sim$とは、 $A$の二つの元の間に次の関係があることをいう。

(1)反射律:任意の$a\in A$ について、$a\sim a$
(2)対称律:$a,b\in A$ について、$a\sim b$ ならば、$b\sim a$
(3)推移率:$a,b,c\in A$について、$a\sim b$ かつ$b\sim c$ならば、$a\sim c$

一般化した慣習に従って同値関係を$\sim$ と表したが、よく使う等号$=$に置き換えてみれば十分類推できよう。

例えば内容が明らかな集合$B$を利用して、そのひとつの要素$b\in B$を使って、別の集合$A$から、 $A_1=\left\{a_1\in A :b\sim a_1,b\in B\right\}$という部分集合を作ることができる。

$b\in B$によって、$A=A_1\cup A_1^c$に分解して調べることができることになる。

続けて分かっている$B$の要素を次々と使って$A$を切り分けていくことができる。

面倒なことに聞こえるかもしれないが、もし同値関係を$=$ とするなら、任意の集合$A$は所与の集合$B$によって、 $A\cap B$ と$A\cap B^c$に分割できることをいっているにすぎない。

この分解は後に使おう。またここで$B\subset A$ならば、$B\sim (A\cap B)$である。

同値関係を定めれば次に順序を考えたくなる。順序関係$\preceq$とは、やはり任意の二つの元の間に次の関係があることをいう。

(1)$a\in A$ について、$a\preceq a$
(2)$a,b\in A$について、$a\preceq b$ かつ、$b\preceq a$ならば、$a\sim b$
(3)$a,b,c\in A$について、$a\preceq b$ かつ$b\preceq c$ならば、$a\preceq c$

この順序関係$\preceq$についてもふつうの大小関係$\leq$をイメージしていただければよいのだが、もっと一般的なものとなっている。

たとえば、「あいうえお順」を順序関係$\preceq$と定義することもできることを注意しておこう。

そして、要素に順序をもつ集合を順序集合という。

もしある集合のどの二つの要素をとっても、 \[ x\preceq y,\quad \mbox{または、}\quad x\succeq y \] のいずれかが成り立つ場合、全順序集合という。

順序関係が導入されていると、特定の二つの元を取れば順序関係が判明するが、 別の二つをとれば順序関係が定まらないような集合は順序集合ではあるが、全順序集合ではない。

順序が導入できれば、整列集合の定義が可能となる。

全順序集合$A$において、$A$の任意の部分集合$A_1(\ne \phi)$が最小元をもつとき、$A$を整列集合という。

さていくつかの定義はこれぐらいにして、議論の発端となった整列可能定理とはつぎのようなものをいう。

任意の集合は適当な順序を入れることで、整列集合にすることができる。

この整列可能定理の重要性を語ることは私の力で及ぶものではないのだが、なんとなくでもそのすさまじさが感じられるであろうか。

任意の集合とは任意であるから、ありとあらゆるものがあるし、当然無限なものを含んでいるから、到底信じ難いと考えるのがふつうだろう。 しかしこの定理が選択公理を用いられることで証明されたのである。

選択公理とはおおよそ次のようなものをいう。

添字のついた集合$A_1,A_2,\cdots$ があって、どの$A_i$も空でないとするならば、 各$A_i$から適当な元$a_i$を選ぶ関数$\psi$が存在する。この関数を選出関数という。

言い換えれば、無限につながる集合の列から、いっきに適当な元を取り出して新たな集合を作ることができる。 そのような関数が常に存在するのである。

あるいはそういう関数や選ばれた要素から作るれる集合が存在していることを公理として認めよ、というのが選択公理なのである。

そして選択公理を公理として認めるならば整列可能定理が証明できるのである。

いきなり聞くとこの筋書きはあまりに勝手な感じがしないだろうか。最終的に選ばれた元からできあがる集合はともかく、 無限に連なる集合$A_i$ から適当な元をいっきに選び出すというこの選出関数$\psi$ とはなんなのか。 そういった事柄をいきなり証明の必要のない公理として認めるとはどういうことか。

数学が単なる抽象的な理念操作に終始し、明らかな手続きやプロセス、いっそう具体的には関数の様相が明らかとならなければ、 単なる理念的なアイデアにとどまり、いったい何の意味があるのだろうかという批判である。

その思いのとおり選択公理は当初から素直に受け入れられたわけではない。公理と言えばふつうまったく自明なものというイメージがあるだろうが、 選択公理はその通念からもかけ離れているといってもよいだろう。

選択公理が巻き起こした議論の黎明期では、選択公理の捨象は数学者の研究に対する姿勢を示すものとも扱われた。

ふつうわれわれが集合の議論を行うとき、基礎とする公理はツェルメローフランケルの公理と呼ばれる。 例えば、ある集合と別の集合が等しいのは、そのすべての要素が等しいことをいう(外延性の公理)、 というような当然のいくつかの定義だけを基にして集合理論全体が無矛盾な体系を作っていることを議論する。

選択公理はこのツェルメロ-フランケルの公理とも独立となっており、現在でも公理として認めない議論が可能なようであるし、 数学の専門家による高度の研究でなければ、考慮しないで進めることもできるようである。

また選択公理を認めることによって、バナッハ-タルスキーのパラドックスという真に不思議な逆理が示されることも明らかとなった。

しかし選択公理を認めることで、濃度の比較定理などのさらに重要なさまざまな定理が証明された。 それは集合論にとどまることなく、例えば無限次元のベクトル空間の基底が存在することも選択公理と同値であることが知られている。

無限が生み出す不思議はいまだ解消されているわけではない。 しかし現在ではたいていの専門家は公理として受け入れているのではないだろうか。 それゆえ、われわれも選択公理を受け入れることで進めていきたいと思う。

したがって、実数のべき集合では、完全加法な測度を構成できないため、 σ代数というべき集合より小さい集合族を用意しなければならないことを認めるものとする。

 






説明のあらすじは、志賀浩二の数学30講シリーズ「集合への30講」に大幅に依拠している。
当該テキストを読まれることをおすすめする。





























































選択公理の実際は、可測集合のときにもう一度触れたいと思う。

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